播磨国風土記 
 

書名  播磨国風土記
記事名  顕宗天皇の名のり
成立年代  
 その他  『古事記』下巻清寧天皇条及び『日本書紀』巻15顕宗天皇即位前紀にも、顕宗天皇の名のりの歌が載るが、それぞれ内容が異なる。
美嚢(みなぎ)の郡(こほり)
志深
(しじみ)の里
於奚
(おけ)・袁奚(をけ)の天皇等(すめらみことたち。のちの仁賢・顕宗の兄弟天皇。履中天皇の孫、市辺押磐皇子の子)の此の土(くに)に坐(いま)しし所以(ゆゑ)は、・・・ 爾(ここ)に、二人のみ子等(たち)、彼此(ここかしこ)に隠り、東西(ひむがしにし)に迷ひ、仍(すなは)ち、志深の村の首(おびと)、伊等尾(いとみ)の家に役(つか)はれたまひき。伊等尾が新室(にひむろ。新築祝い)の宴に因りて、二たりのみ子等に燭(ひとも)さしめ、仍(よ)りて、詠辞(ながめごと)を挙げしめき。爾に、兄弟(あにおと)(おのおの)相譲り、乃ち弟立ちて詠(なが)めたまひき。其の辞(ことば)にいへらく、
たらちし 吉備の鉄(まがね)の 狭鍬(さぐは)持ち
田打つなす 手拍て子等
(こら)
吾は儛
(ま)ひせむ。
又、詠めたまひき。其の辞にいへらく、 
淡海(あふみ。琵琶湖のある近江)は 水渟(たま)る国
(やまと)は 青垣(あをがき)
青垣の 山投
(やまと)に坐(ま)しし
市辺
(いちべ)の天皇が 御足末(みあなすゑ) 奴僕(やつこ)らま。 
とながめたまひき。即ち、諸人等(もろひとたち)、皆畏(かしこ)みて走り出でき。爾に、針間(はりま)の国の山門(やまと)の領に遣されし山部連(やまべのむらじ)少楯(をたて)、相聞き相見て、・・・仍りて、参上(まゐのぼ)りて、啓(まを)すこと右の件(くだり)の如し。
 詠いこまれた花   



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